3月29日 満月

春の名月

今日はとても綺麗に満月が見える日のようです。

 

中原中也の詩、

「月夜の晩に、ボタンが一つ波打ち際に、落ちていた。それを拾って、役立てようと僕は思ったわけでもないがなぜかそれを捨てるに忍びず僕はそれをたもとに入れた。

月夜の晩に、ボタンが一つ波打ち際に、落ちていた。それを拾って、役立てようと僕は思ったわけでもないが、月に向かってそれはほうれず。波に向かってそれはほうれず。僕はそれをたもとに入れた。

月夜の晩に、拾ったボタンは指先にしみ、心にしみた。月夜の晩に、拾ったボタンはどうしてそれが、捨てられようか?」

 

この「月夜の浜辺」が発表される前、中也の息子である文也が2才で急逝したそうです。

月夜の晩に拾ったボタンに我が子を思い出させる何かがあったのだろうと多くの方が解釈されています。

真相は誰にもわかりません。

 

「あかねさす 日は照らせれど ぬばたまの 夜渡る月の 隠らくおしも」 柿本人麻呂

意味:日は照らしているけれど、皇子が夜空に渡る月のようにお隠れになったのは惜しいことです。

 

月にはお隠れになるという意味があるので、中也の息子の追悼という解釈が合っていそうな気はします。

ただ、万葉集は挽歌が多いのでよくわかりません。

 

月を見て万葉集の短歌と現代の詩の共通点について考えを巡らしてみました。